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万人の万人に対する戦い

 普遍アントロポゾフィー協会の中核には精神科学自由大学が存在します。
 普遍アントロポゾフィー協会の協会員の入会条件では「機関としての精神科学自由大学の存在の意義を認める」ことが挙げられています。
 普遍アントロポゾフィー協会に入会した普遍アントロポゾフィー協会員が、精神科学自由大学の活動をおこなう精神科学自由大学会員となるためには、「少なくとも2年間以上、普遍アントロポゾフィー協会の会員であり、アントロポゾフィーに関する事柄の代表者たる意思を持つ」ことが条件とされています。
 条件を満たす普遍アントロポゾフィー協会の協会員は精神科学自由大学会員となるための申請をすることができます。
 大学会員証を与えられた精神科学自由大学会員には精神科学自由大学の内容について一切口外しないことが義務付けられます。

 精神科学自由大学の理解なくしてアントロポゾフィーの理解はあり得ません。
 ルドルフ・シュタイナーはその著書に「本書は精神科学自由大学第一クラスのために書かれる。それ以外の者による本書の解釈は正当であると認めない。」と記しています。(精神科学自由大学会員でない翻訳者による翻訳本で翻訳されているかどうか定かではありませんが。)
 このため、普遍アントロポゾフィー協会の協会員であっても、精神科学自由大学会員でなければ、正当にアントロポゾフィーを理解しているとはいえません。
 ましてや普遍アントロポゾフィー協会の協会員でなければ、正当にアントロポゾフィーを理解しているとはいえません。
 精神科学自由大学会員の全てが正当にアントロポゾフィーを理解しているとは言えませんが、少なくとも精神科学自由大学会員でなければ、正当にアントロポゾフィーを理解することはできません。
 個々の精神科学自由大学会員が正当にアントロポゾフィーを理解しているかどうかは、精神科学自由大学に参加する他の個々の精神科学自由大学会員によって判断されることでしょう。
 精神科学自由大学会員は精神科学自由大学の内容について一切口外することはできませんが、精神科学自由大学会員によって正当に理解され、正当に受け取られたアントロポゾフィーの精神(アントロポゾフィア)は精神科学自由大学会員による普遍アントロポゾフィー協会での活動を通じて、他のアントロポゾフィーの認識を深めようとする普遍アントロポゾフィー協会員にまで共有されます。

 普遍アントロポゾフィー協会-邦域協会日本の中核にはゲーテアヌムによって認められた精神科学自由大学の第一クラスが存在します。
 精神科学自由大学の第一クラス(クラッセンシュトゥンデ)は邦域協会日本において継続的に開催されています。
 私も精神科学自由大学会員の一人です。
 
 しかしながら、精神科学自由大学の活動を有することなく、アントロポゾフィーについての正当でない勝手な解釈をおこない、勝手な解釈に基づいて(アントロポゾフィーを理解することなく巧妙にも「実践する」と称して)活動をおこなう組織が日本にも数多く見られます。
 また精神科学自由大学会員ではない人によって翻訳されたアントロポゾフィーの翻訳本、精神科学自由大学会員でない人のアントロポゾフィーの解釈をまとめた解釈本が数多く出版されています。
 さらに、インターネット、カルチャースクール、文化サークル等のさまざまな局面で精神科学自由大学会員ではない人による多くのアントロポゾフィーについての勝手な解釈が開示されています。
 それらの勝手な解釈は正当な解釈であるとはいえません。

 もちろん、文化多元論的には、ある人が、例えば数学を学んだことがなくても、数学について「勝手に解釈する自由」があるのでしょう。(言論の自由もあるでしょう。)
 しかし、その「勝手に解釈する自由」とはアントロポゾフィーが警告するところの人類の文化の墓場としての(トーマス・ホッブズの唱えた)「万人の万人に対する戦い」へとつながる自由なのではないでしょうか。(その人はもはや誰とも自らが解釈する数学について意見の一致を見ることはないでしょう。)
 そのような「勝手に解釈する自由」を選択する人には、自ら多くの誤謬を背負い込んだまま「万人の万人に対する戦い」の中で、万人に対して正当性を争って(独自の解釈に基づく数学の正当性を主張して)、多くの不毛な犠牲をはらうことを選択する自由があるというのでしょう。
 アントロポゾフィーでは「勝手に解釈する自由」を否定することはしません。
 アントロポゾフィーではそのように自らの内に誤謬を抱え込み、自ら多くの犠牲を払いながら人類に自由を提供する悪を「悪の秘儀(供儀)」として価値あるものと捉えます。誤謬を抱えた存在が真実に背を向けることにより自由が生じるともいえるのです。

 しかし、「勝手に解釈する自由」を選択せず、自らの思考によって検証した永遠不変の真実(真の現実)を共に認め合う他者と共に、永遠不変の真実についての認識をさらに深め合うための共同体を形成することを選択する自由も、また一つの自由です。普遍アントロポゾフィー協会(‐邦域協会日本)は、そのように自由な個人が自らの思考によって検証した永遠不変の真実についての認識を他の協会員と共有するとともに、さらに認識を深めるための共同体です。

 アントロポゾフィーを正当に理解することは容易ではないことですが、だからといって、安易に「シュタイナーのいいとこ取りをしたい」として、自らアントロポゾフィーを正当に理解しようとする努力をおこなうことなく、自ら思考することなく、精神科学自由大学会員でない人の勝手な解釈を聞いて、その勝手な解釈を信じることは、「自由の哲学」に記されているように、自由な現代人としての要請に反し、また、自由でないがゆえに、倫理的であるとはいえないことです。
 もちろん、精神科学自由大学会員によるアントロポゾフィーの理解を聞いて、自ら思考することなく、その解釈を信じることも、自由な現代人としての要請に反します。
 シュタイナーが「私の言うことを信じるようなことはしないでください。どうぞ、アントロポゾフィーについて自ら思考して検証してください。」と言ったのは、誰か他の人の解釈を検証することなく信じるようなことは自由な現代人としての要請に反することだからです。

 そのために、普遍アントロポゾフィー協会では「精神科学自由大学としてのドルナッハのゲーテアヌムのような機関の存在に意味を認める人であれば、国籍、地位、宗教、学問、あるいは芸術的確信の相違にかかわりなく、誰もが会員になることができる」ものとしています。
 また、普遍アントロポゾフィー協会(-邦域協会日本)では、会員でなくても参加できるアントロポゾフィーについての認識を深めることができる多くの機会を用意しています。
 どうぞ、そのような機会に御参加いただいて、あるいは普遍アントロポゾフィー協会員(アントロポゾーフ)となって、さらに精神科学自由大学会員となって、自らの思考により検証して、アントロポゾフィーを正しく理解したうえで、アントロポゾフィーの正当な理解に基づいて、自由な解釈を開示してください。

 少なくとも、皆さんにアントロポゾフィーについて語る人または組織が、
・ゲーテアヌムに認められた精神科学自由大学の活動をおこなっているのか
 (無届で、自称して、精神科学自由大学の活動をおこなっているのではないか)
・皆さんにアントロポゾフィーについて語る人が精神科学自由大学(会員)であるのか
 (精神科学自由大学会員であるとしても、どのように精神科学自由大学の活動と関わっているのか
  (名ばかりで、クラッセンシュトゥンデにも永いこと出席していない会員ではないか))、
・皆さんが参加するアントロポゾフィー運動が
 精神科学自由大学会員によるアントロポゾフィー運動であるのか、
について十分に検証してください。

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